西日本豪雨の被災地

 

(この投稿は堀行丈治のnoteからの転載です)

 

雨止んで

 豪雨災害から一週間後の七月十四日、私は熊野町にいた。熊野町は土砂崩れの被害が大きく、道路脇のあちこちに土嚢が積み上げられている。場所によっては、無数の木々が混じった土をかき寄せた、バリケードのような小山が歩道をふさぐ。
 スーパーの駐車場で行われた、フリーマーケットの会場を訪ねた。ニュース番組では連日、広島県各地の様子が伝えられるほどの大災害。自粛ムードに流されるのは良くないと思うが、道路も家屋も復旧を急いでいた災害後初の週末。こんなときにフリマを開催するなんて……そう思っていた。
 フリマはここ二十年続いていて、毎月二回開催しているという。三々五々、人が訪れ、テントやパラソルの陰に集う。品定めをしながらも、顔なじみに会えば話に花が咲く。その笑顔に安堵も見え隠れする。そこには、この一週間感じることができなかった、誰もがほしがっていたであろう「日常」があった。私は軍手一ダースを三百円で買い求めた。
 翌日、その軍手を持って三原市本郷町に出向いた。沼田川の氾濫により、大水害が起こった町だ。ダンプカーの荷台に乗せられて到着した小学校跡地は、広大なごみ置き場と化していた。近隣から集められた災害ごみはすでに満杯で、今は遠方のグラウンドに持ち込んでいると聞く。
 その災害ごみの搬出が、私たちの作業だ。被災者宅を訪ね、使えなくなった家財道具を運び出し、トラックに載せる。「それは捨てずに、残しておいてくれ」と切願する高齢の父親と「もう捨てんさい。あきらめんさい」と諭す息子の会話が何度も繰り返される。この地域では、二階に迫るほどの浸水だった。
 避難指示が出て以来立ち寄ることさえできず、初めて開ける家があった。水が引いて以後の高温のせいか、調味料から強烈な異臭が放たれる。濡れた畳は重すぎて、大人が四人がかりで運ぶほどだ。テレビも冷蔵庫も洗濯機も、電気製品は全てがごみ。家財道具を運び出し、多量の泥をかき出していく。ここに人が住んでいたとも、これから人が住むとも思えない。想像をはるかに超えた「非日常」は、災害から一週間たっても続いていた。
 次の日も本郷町に入った。「これを、何とかしてもらえんかね」。ある家のご主人が途方に暮れた顔で指差したものは、部屋の中央に山のように積まれた壁材だった。水浸しになった断熱材を取り除くために、壁をハンマーで叩き壊していた。愛着のある我が家を、自分の手で壊すというやるせなさに、同情を禁じえなかった。屋内作業とはいえ、猛暑日の午後。何度も休憩しながら、石膏ボードの壁を割り、ひたすら土嚢袋に詰めていく。
 二時間後、ごみの搬出を終えようとしたとき、「こんなに早く片付くとは思わなかった」と、ご主人が笑顔を見せた。この家に日常が戻るのはまだまだ先になりそうだが、その笑顔の中に「希望」のようなものを感じた。

中国新聞文化センターの講座「いい文章を書く 文の力で心をみがく」に提出した随筆です。テーマは「わたしの三日」(2018年7月執筆)

 

 

 

 

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By ほりゆき

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