「ここで辞めたら、もう後がない」
大学卒業後に入った会社を一か月で退職し、一年近いアルバイト生活の後で再就職した。面接で「明日から来て」と言われ、断る理由もなく入社。就職情報誌に記された業種は「貴金属などの輸入販売」という会社だった。当初、先輩社員が何をしているのかもよく分からなかったが、彼らの仕事ぶりを観察するうちに、少しずつ理解できた。金、大豆、小豆、ゴム……商品先物取引の会社で、私はセールスをしなければならないのだ。「悪徳商法」という言葉が頭に浮かんだ。祖父が生糸相場で退職金を全て失っていたこともあり、両親は反対したが後の祭り。これ以上職歴に汚点を付けると、次は雇ってもらえなくなる。とにかく三年くらい我慢しようと自分に言い聞かせた。
どこから入手したのか分からない卒業名簿を頼りに、載っている人の勤務先に電話勧誘。縁もゆかりもないのに「同窓生の方にお世話になっておりまして」と投機話をもちかける。話を聞いてくれるとなれば、すぐさま約束を取り付けて訪問。商談で断られても翌朝に電話で再度押す。「昨日お話しした金相場が、大変なことになっているんですよ」。優柔不断な相手だと思ったら、さらに押す。それでも渋るなら電話を上司に預ける。ほとんどの人は断るが、根負けした相手が契約してくれる。手数料が高い上に何度も売買を繰り返すので、取引では九割以上の人が損をする。怒り心頭の顧客に「不当な勧誘だった」と言われ、裁判になることもあった。意を決して退職しようすると毎回、支店長預かりのまま話が有耶無耶になる。数年後、支店が閉鎖されたのを機に辞めることができた。
その後、印刷会社に入社し三年で退職。広告代理店や広告制作会社を経て、広告制作事務所を開業した。自営業は、思っていた以上に厳しい世界だった。一人の力では、仕事を得ることも進めることも難しい。知人を頼って仕事をもらい、時にアルバイトで食いつないだ。事業の柱が執筆と編集に変わって業績は上向いたものの、毎月の収支は変動が激しい。依頼がたくさんがあっても、その時にできるのは目の前の一件の仕事だけ。こちらの空いている日に延期してもらえることは滅多にない。この二年半は、計画がコロナ禍で中止されたものも多かった。一か月先の予定は組めても、三年後の自分がどこにいるのかは想像もつかない。私にできることは、目の前の道を進むことだけだ。
人の行く裏に道あり花の山
商品先物取引のセールスをしていた頃に知った相場の格言だ。転職を七度繰り返した末に起業し、経験と勘だけを頼りに仕事をしてきた私の行く道に花は見えない。草叢をかき分けて登った先にあるのは、尾根なのか崖なのか。まだ見ぬ頂を目指して、今日も机に向かう。
中国新聞文化センターの講座「いい文章を書く 文の力で心をみがく」に提出した課題随筆(テーマ「山」)です(2022年10月執筆)
[…] 『破線 原稿用紙3枚の“記憶”』(6月8日投稿分) […]