正月の黒豆

 

 冬になると時々、台所のストーブの上に直
径三十センチはありそうな、大きな両手鍋が
載っていた。その度に「ああ、今夜はおでん
なのだな」と分かったものだ。
 両親と祖父母、私と弟二人の七人家族が一
度に食べる食事の量といったら、それは多い
ものだった。米はいつも一升炊き、肉も魚も
一キロ近く消費する。七人分の調理や配膳に
追われ、他にも買い物や掃除洗濯といった家
事もこなさなければならない母にとって、お
でんを炊く場所は、ストーブの上が一番楽だ
ったようだ。
 年の瀬になると、鍋の中身はおでんから黒
豆に代わる。子供の時分は年末だの正月だの
といった時節は意識していなかったけれども、
鍋から立ちのぼる匂いだけで、何を炊いてい
るのかが分かった。やがて、黒豆を炊くのは
正月前の一時季のことなのだと知った。
 台所には、昔と変わらずストーブがある。
大きな鍋が載らなくなって、どれだけの月日
が流れただろう。三十数年の間に、祖父母が
他界し、私たち兄弟も次々と家を出て、実家
は両親と末弟だけの小さな世帯になった。
ことしは松の内が明ける頃まで、実家の食
卓に黒豆があった。
「私はこの煮汁が大好きでねえ。子供の頃は
汁ばかり飲んで怒られていたのよ」。褐色を帯
びた、ほのかに甘い煮汁を口に運びながら、
母がしみじみと語った。
 黒豆が母の好物で、中でも煮汁が好きだと
いうことを、私はこの時まで知らなかった。
思えば両親と暮らした十八年の間に、ゆっく
りおしゃべりして過ごした時間などなかった。
国鉄の機関士で不規則勤務だった父は、家に
いるたいていの時間は寝ていたし、母は障害
を持って生まれた末弟の世話と、七人分の家
事に明け暮れていた。祖父母はしつけに厳格
な人だったが、孫の私たちに面と向かって叱
ることは稀で、いつも母が責められていた。
苦労する母の姿を目にしながら、親子らしい
会話を経験しないまま、私は大人になり、そ
して社会に出た。
 父は力仕事ができなくなり、母は体調を崩
して床に臥すことが多くなってきた。数年前
と比べると、私が実家に帰る日は多くなり、
両親と過ごす時間も増えた。畑仕事や地域行
事、パソコンの扱い方が分からないときなど
に、多少は役に立っているようだ。会話も徐々
に増えてきた。いつしか、父と母のことを少
しでも分かろうとしている自分がいた。
 十七年前、祖母の葬儀で伯母が私に言った。
「お母さんを大切にしなさいよ。どんなにつ
らくても何一つ不平を言わず、ずっと辛抱し
てきた、本当にできた人なのよ」
 いまだ大切にできていなくて心配ばかりか
けているけれど、今度帰ったときは、一緒に
黒豆の煮汁を啜って、母の幼少期の思い出を
聞いてみようと思う。

 

(2018年2月執筆)

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By ほりゆき

ぶるぼん企画室代表の堀行丈治(ほりゆきたけはる)です。取材、執筆、撮影、編集を生業としています。

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