今日の中国新聞に興味深い記事があった。
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SNS時代の選挙報道 民主主義の「とりで」の自覚を 専修大教授・山田健太さん
以下は記事の一部
しばらくは我慢の時。だからこそ既存メディアが民主主義の「とりで」の役割を果たす時です。X(旧ツイッター)やメタといった巨大プラットフォーマーが自主規制を放棄する中、具体的な投票行動を促す選挙報道の在り方を考え、実践する。ファクトチェックにつながる取材過程の公開をリンクさせた記事スタイルを模索する。これらをやり切ることです。
「X(旧ツイッター)やメタといった巨大プラットフォーマーが自主規制を放棄」とある。
先日の投稿でも触れたとおり、両者とも過去には自主検閲を行なっており、
特にXでは、特定の思想に染まった投稿が優先的に表示されるということが起きていた。
そしてメタによると、facebookでも
あまりにも多くの無害なコンテンツが検閲され、あまりにも多くの人々が「Facebook刑務所(Facebook jail)」に送られる羽目になった
と述べている。
ファクトチェックが自由な言論を奪っていた、と白状したようなものだ。
彼らが放棄したのは自主規制ではなく、恣意的な検閲行為。
ファクトチェックでは公平性を担保できないと判断したのだろう。
先日も書いたが、今やファクトチェック機関がファクトで殴られる時代。
マスコミ報道が、エビデンスをまとった一般人に殴られる時代だ。
それなのにまだ、ファクトチェックをやりたそうな気配が記事に漂っている。
山田教授はインタビューの中で
この1年の状況でドタバタしない方がいいとも考えます。自分の学生を含めデジタルネーティブ世代は「SNS情報の半分はうそ」と言います。
とも語っている。
SNSユーザーはリテラシーを高めている。
ファクトチェックはマスメディアが行うのではなくコミュニティノートに任せて、
真の意味での公平中立なファクトの報道に徹したら、今よりは信頼度が上がると思う。
もうひとつ、気になることがある。
この記事に付随するコラム「ファクトチェックの現在地 透明性と独立性が鍵に」で
ファクトチェックは、ネット上に拡散する情報の真偽を第三者が検証する取り組みである。
と断定している。
つまり、ファクトチェックの対象はネット情報だけなのだ。
マスメディアは、新聞やテレビ報道のファクトチェックはしない。
このあたりが、とても残念だ。
情報発信者の責任として、自分たちの報道こそ検証が必要なのではないだろうか。