この投稿は堀行丈治のnoteにも掲載しています。
偶然に偶然が重なって、予想外の志向を持ってしまうことがある。
半月ほど前に聴いた文学講座で、講師の先生が、瀬戸内寂聴について語ってくれた。出家するまでの奔放な男性遍歴について少しは知っていたが、興味の対象外だったせいで、その生き方がのちの人生にどれほど大きな影響を与えたかまでは、見聞きすることも読むこともなかった。
講座の中では、彼女にとって最大の転機になった(と思われる)井上荒野の「あちらにいる鬼」のエピソードを聞き、瀬戸内作品よりもそちらの方を読みたいと思った。
それから一週間、Twitterで流れてきた文藝春秋digitalの記事〈筒井康隆『美女』は消えますか?〉がどうしても読みたくなり、月額会員になった。
記事一覧を眺めてみると、下重暁子さんの名前があった。一昨年、島根県であった講演会に行きたかったのだが、仕事が入って断念したことを思い出し。瀬戸内さんの話を先日の講座で聞いていたこともあり、そのまま読み進めた。
面白い。あまりにも俗物すぎる。本能のまま、いや本能を大切にしているからこそ、人としての根源的な欲求を体現した人なのだと思った。
晩年よりも出家前の瀬戸内さんに、とても興味を持っている。
今夜のラジオ深夜便は、瀬戸内さんの話。ここでも新たな偶然が重なるのだろうか。