(画像はフリー素材サイトPhoto ACより駅伝イメージ)
テレビ画面の隅に表示される通過順位を見てため息をつく。九位につけていたのに、わずか十五分ほどで十二位に後退していた。画面はトップの選手と、その数十メートル後方で追い上げる二位の選手を代わるがわるに映している。駅伝好きの父が「こりゃあ、来年も予選会じゃのう」と、私の隣で独り言のようにつぶやく。ここ数年、一月三日に繰り返される光景だ。
神奈川大学に在学した四年間、私はろくに講義に出ず、昼間は寝て夜はアルバイト、深夜から友人と飲み明かすような、学業とは無縁の学生生活を送った。アパートの窓から校舎が見えるほど近くに住んでいたが、大学ではなく友人宅を行き来してばかりだった。行きつけの銭湯のおばあちゃんや、ラーメン屋のおじさん、レコード屋のおばさん、住んでいた街への愛着はあったものの、大学には特段の感情も抱かず卒業した。
二年後の正月、神奈川大学が箱根駅伝に出場していると父が教えてくれた。私の在学中には出場していなかったが、もし出場していたとしても、きっと知らずにいただろう。駅伝にも興味はなかった。正月とはいえ、二日続けて何時間もテレビ放送するほどの価値があるのだろうかと思っていた。
青いユニホームの選手が横浜駅前を通過すると、テレビの音声が聞き覚えのある応援歌を拾った。長い低迷期を乗り越えて箱根駅伝に戻ってきたと実況アナウンサーが抑揚をつけて語る。私より数年後輩になる選手たちが、この舞台を目指して日々練習を重ねているのだと思うと、学生時代の自分が恥ずかしくなった。だが遠く離れた広島にいても、母校の名が聞こえてくることを、誇らしくも感じた。
のちに神奈川大学は二年連続で箱根を制したものの、近年は上位に食い込めない、もどかしい状態が続いている。お陰で下位には下位の戦いがあることを知った。十位以内に入れば、翌年の出場権を得られるので、各校とも一つでも順位を上げようと全力で挑む。何よりも、スタートからゴールまで一本の襷をつなぐことが駅伝の最大の目的だ。中継所で所定の時間を過ぎると繰り上げスタートになる。渡す相手のいない襷を持って走った選手も見た。中継所の手前で何度も転倒しては起き上がり、繰り上げの合図と同時に襷をつないだ選手もいた。苦境の中で、もがきながら前に進む姿は美しい。
友人の消息も知らぬまま、卒業から三十年が過ぎた。広島にも同窓生は多くいるのだろうが、人と会っても出身大学を話題にすることがないので、母校を意識することは滅多にない。私にとっては縁もゆかりもなかった陸上競技部の活躍だけが、神奈川大学との絆を感じさせてくれる。
中国新聞文化センターの講座「いい文章を書く 文の力で心をみがく」に提出した随筆です(2021年4月執筆)