土曜日の文章講座の続きの話。
高橋一清先生はこれまでに何度も「類語辞典を引いてみなさい」と言った。
そのたびに「いつか買おう」とやりすごしてきた。
今回もまた、類語辞典の話が出てきた。
ハーンから幼いころ個人教授を受けたエドワード・クラークの回想より
常にノートを持ち歩き、目にとまった光景や思いついた文章は、必ずメモしておけ。記憶に頼るな、これほど不確かで、当てにならない助けはない。頭に浮かんだ思想は、すぐに書き留めろ、そして、短く、徹底的に切り詰めろ。ロジェの『類語辞典』を手に入れ、引きまくれ。
ロジェの類語辞典は、1805年につくられた英語類語辞典『ロジェ・シソーラス』のこと。
日本人の私たちには何がいいのだろうと思っていたら先生が
「三省堂の類語辞典が一番いい」と言う。
このタイミングで買わなければ、おそらく一生買わないだろうと思い、注文した。
今日届いた類語辞典の「序に代えて」を読んでみると、とても興味深いことが書かれている。
感銘を受けた部分を、以下に一部紹介する。
(「読解のための索引から、表現のための地図へ」より)
湯気や湯治に何の縁もゆかりもない「音節」と「音素」に挟まれた国語辞典の「温泉」には「出で湯」の情緒など微塵も感じられない。が、地図上の温泉は、近くの町や山や湖や森との位置関係から、そこに至る鉄路などの交通手段まで、互いに関連し合う現実を映して記載されている。(略)その結果、ここでの「温泉」は、その「出で湯」どころか「名湯」「秘湯」や「霊泉」「鉱泉」「冷泉」「ラジウム泉」などに囲まれて、のどかに湯けむりを上げている。
すでにこの文章が情緒たっぷりではないか。
しかしここで、引用文の情緒との重複を避けるなら、どんな言葉が適切か。
さっそく類語辞典を引いてみた。
「風情」これがいい。いや「趣」もいいな。
すでにこの文章が趣にあふれているではないか。
としてみよう。
類語辞典、なかなか面白いではないか。