小説家の島田雅彦さんの発言が炎上している。
ネット番組で統一地方選をテーマに語っていたとき、安倍元首相暗殺事件について
「こんなことを言うと、また顰蹙(ひんしゅく)を買うかもしれないけど、いままで何ら一矢報いることができなかったリベラル市民として言えばね、せめて『暗殺が成功して良かったな』と。まあそれしか言えない」
と述べたことが発端だという。
まあこれは、テロを肯定している時点でアウト。
炎上して当然だと思う。
数年前、島田さんの講演を聞いたことがある。
テーマは「小説家にとって大切なこと」が主題だった。
講演そのものは大変面白かったが、所々で当時の安倍政権に対する不満や敵意を表すような発言があった。
小説家、文壇の人というのは往々にして、極端な左翼思想に染まっていると感じる。
これは勝手な推論だが、
文壇人のほとんどが世間ずれしていることも一因ではないだろうか。
市井の人は実業に従事し、額に汗して働きながら、子育てや納税など家族や地域、国家を支えている。
理想論よりも現実を重視するようになる。
作家は、ノンフィクション作家やエッセイストを除いて、フィクションの世界を構築することで収入を得る。
当然そこには、作家自身が求める「美質」なるものがある。
人類の普遍的なテーマを追求すれば(普遍的なものなどないと思うが)
多くの作家が、愛と平和に理想を求めるのは仕方ないことかと思う。
創作活動を通じて、愛と平和を追求しつづけるあまり、現実の世界が見えなくなるのではなかろうか。
人が幸福を追求すれば、努力の度合いによって格差が生まれるし、思想や宗教観の違いから争いも起きる。
それは避けられないことなのに、格差も紛争もない理想郷がどこかにあると、あるいは実現できると勘違いしている。
現実社会で生きている人は、真剣に生きれば生きるほど、そんなものは夢想にすぎないと分かっている。
だから経済も政治も、現実を見て選択をする。
文壇人(文化人といってもいい)は、それが気に入らないのだと思う。
「俺たちが作品を通して理想郷を見せてやっているのに、お前らはどうして違う道を行くのだ」と。
そんな人たちが集まると、件の発言も責められるどころか周囲が同意している。
おおよそ有権者や日本国民とはかけ離れた思想に染まってしまっている。
それでも彼らは高みに立って、「俺たちは一般庶民とは違うんだ」と思うのだろう。
それが幅を利かせているのが文学、文芸の世界なのではないか。
先日の投稿でも触れた「広島のタブー」についての作品批評で、
元文芸誌編集長の先生も、作品に対して懐疑的な見方をしていた。(表現はやわらかだったが)
私が書くものは文芸と呼ぶには拙いものかもしれないが、現実社会を生きる人たちの心を描いてみたい。
たとえフィクションであっても、理想論に染まった虚構ではなく、リアリティのある作品を生み出したい。