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年に何作か、小説を書いている。趣味ではない。大真面目に文学作品として発表しようと企てて文学賞に応募をしているが、愛すべき作品たちは極めてローカルなコンテスト以外で日の目を見たことがない。応募するだけでは技術も感性も磨けないと思い、毎月1回の文章講座と小説批評サークルにも参加している。そのサークルでの出来事だ。

私の作品を批評する回のこと、メンバーの一人が「母子家庭」という記述を指摘した。現代において不適切な言葉だという。なるほど、言われてみれば新聞紙面では「ひとり親」という表記が増えてきている。だが「母子家庭」表記がなくなったわけではない。

父親がいない、母と子の世帯を母子家庭と呼ぶことに、何の不都合があるのだろうか。あるいは誰か傷つくのだろうか。この場合、問題なのは母という女性を表す言葉なのか、それなら父子世帯はどうなるのだ?と思い、地元の新聞社の記事を検索してみると「父子世帯」の表記はこの1年分の記事の中で1件もヒットしなかった。

「ひとり親家庭」「母子家庭」とは書くが、「父子家庭」とは書かない(少なくともこの1年は書いてない)のだ。母子家庭はよくても、父子家庭と書いてはいけないのか? いや、そもそも私が糾弾されたのは「母子家庭と書くな、ひとり親家庭と書け」だった。

仮にその言い分が正しいとしても、私の作品の中では「ひとり親家庭」と書くよりも「母子家庭」と書く方が馴染むと思っていた。不適切な表現だから変える、というのは作品の世界を破壊することになるのではないか。

差別用語を好んで使うほど下衆な趣味は持ち合わせていないが、文章表現の上で必要と思われる形容が誰かを不快にさせたとしても、事実無根の誹謗中傷や名誉毀損、虚偽でない限り、誰にもそれを叩く権利はないと思っている。

だが今、ライターと呼ばれる人たちの多くは、ある種の同調圧力に影響されているのではないだろうか。

12月に、ある校閲セミナーを視聴したとき、時間の大半がポリティカルコレクトネス対策に割かれていた。ニュースの正誤やソースの信頼度よりも「炎上しない」ことの方が大切なのかと感じるほどに、ポリコレを意識した内容だった。

ニュースメディアであれば、それも致し方ないことなのかもしれない。だが小説という創作の世界にポリコレを持ち込まれては、表現者に「死ね」と言っているのも同然だと思う。

表現の自由は、いつまで私たちを守ってくれるのだろうか。

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By ほりゆき

ぶるぼん企画室代表の堀行丈治(ほりゆきたけはる)です。取材、執筆、撮影、編集を生業としています。

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