1月7日金曜日。広島県北部の神社で行われる祭典の取材に行った。
この神事は、曜日が何曜日だろうと毎年1月7日に行われている。(去年はコロナのせいで中止されたと駐在さんから聞いた)
祭りを催行するには、たくさんの人手が必要なため、たいていは土日に行われる。宵宮が金曜で、祭典が土曜という例も多い。
ところがこの祭りは、今年は金曜の日中に行われた。
学校の冬休みは終わっており、子どもの姿はない。さぞや寂しい祭りになるのではと思ったが、祭典が始まる頃になると近隣の高齢者が三々五々集まってっきた。
参道入口の鳥居のはるか向こうの道路にも人影が見える。
皆、ゆっくりとした足取りで参道を上がってくる。
この地の人たちにとって1月7日は、その年の無病息災を願う特別な日なのだ。
祭りは、日付ありきか、曜日ありきか。
昔の日本は、全ての祝日が日付で決まっていた。祭りなどの神事も祝日を基準に計画されることが多かった。
連休を増やすために特定の週の月曜日を祝日とするようになってからは、日付に対する意識が希薄になってきたように思う。
来週月曜(1月10日)は、成人の日。成人の日も、昔は1月15日に固定されていた。この日が小正月で、かつては元服の儀が行われていたことに由来する。
体育の日も、子どもの頃は10月10日だった。1964年東京オリンピック開会式の日だ。
日付には意味がある。祝日や行事を曜日優先にすると、本来の意味さえも忘れられてしまうのではないか。
祝日の中には「祭日」と呼ぶべき日があるが、それも今は呼称「祝日」で統一されている。
言葉は少しずつ変わってゆくものだが、失ってはいけないものもあるのではないかと、最近思う。