昨日の続き。
「家庭画報」をそのまま読み進めると、二階堂ふみさんが大徳寺を訪ねる記事があった。
二階堂ふみが茶の湯の聖地・大徳寺 聚光院を訪れて学ぶ「日本の美 その“奥”へ」
いい記事だなーと思ったら、ウェブ版にそのまま掲載されていた。
お相手の歴史学者、熊倉功夫さんとの対談の中で
“茶の湯”とは“間”の取り方を知るための全てがある、というくだりがあった。
なるほど、私たちは無意識の中にも“間”というものを感じ取っている。
人間関係の全てが“間”で成り立っていて、それを間違うと痛い目にあったり、破綻したりもする。
人に対してだけでなく、時、処にも”間”が存在する。
それに気づくだけで、茶道がこれまでよりも趣深くなるように思う。
ああ、教養って大切だ。