今日は、月に一度の小説塾の日。
人の作品を読んで批評するのは、覚悟がいる。
無責任なことは言えないが、遠慮するわけにもいかない。
良いことも悪いことも、筆者に伝えなければならない。
周りの仲間たちは、驚くほどしっかり作品を読み込んでいる。
私は細かな表現については言及せず、物語の設定や展開について意見することが多いのだが、たった一行の記述が設定と矛盾していることがある。
そういうことに気づく人がいる。私は結構な頻度でスルーしてしまっていて、読みが浅いことに気づかされる。
一番読み込んでいるのは先生だ。
わずか三枚の随筆でも、何度も読み返すという。小説も然りだろう。
今日の先生の言葉で、最も響いたものは
「・・・のような」という表現は手抜きである。自分が見たものを、他のものに頼らず、いかに読者が想像できるように書くかを考えなさい。
という指摘だった。
これは私もよく使っている。
ある物を表現するとき、他の「似た何か」があるときは、それに例えるのが容易い。
しかしそれでは、自分の目で観察していることにならないのだろう。
片足でも文芸の道に突っ込んでいる者として、文章表現について妥協しないよう気をつけたい。