この投稿は堀行丈治のnoteにも掲載しています
広島のローカルウェブマガジンFLAG!で、インタビュー記事を連載している。
題材はアジアンドキュメンタリーズの配信作品だ。
今日公開された記事は、インド人実業家サマールさんのインタビュー。
『森林伐採 -オリンピックのために-』という映画を観て感じたことを語ってもらった。
作品は、東京五輪2020の会場建設に使われた木材が、インドネシアの原生林で伐採されているいう告発ドキュメンタリーだ。
先住民族たちは森を「神様から預かっている」「先祖から受け継いだもの」として、畏敬の念を抱きながら恵みに感謝して暮らす。
そこへ業者が入り込んで、大木を手当たり次第に伐採している。
先住民たちは何の補償もないばかりか、土地の所有権さえ資本家に奪われてしまう。
その木が、建設資材として日本に輸入されていたのだ。
輸入している企業はホームページで「全て合法木材」で「持続可能性に配慮した木材の調達基準に適合」と主張している。
SDGsという言葉を耳にするようになったのは2015年ごろだったかと思う。
耳慣れない略語も数年のうちに普及し、企業活動をする上で無視できない、ある種の思想になってしまった。
製品には「持続可能」や「環境配慮」が、働き方には「多様性」や「平等」が求められる。
しかし、企業がこれらを謳わないと活動ができないというわけではない。
むしろ「とりあえず謳っておけば何もしなくても大丈夫」といった、免罪符的な使われ方をしているように感じる。
真剣に取り組んでいる企業がないとは思わないが、製品やサービスでSDGsに積極的なのは、そこに利潤が発生するからであって、
減収あるいは赤字になるような事業であれば取り組まないだろう。
SDGsを掲げる企業は、エネルギーや気候変動、環境配慮についての活動が多い。
しかし17の目標は
1 貧困をなくそう
2 飢餓をゼロに
3 すべての人に健康と福祉を
で始まる。エネルギーが出てくるのは7番目だ。
貧困や飢餓への対策を積極的に推進している企業がどれほどあるだろうか。
きっと、儲けにならないならないと思う。だが、嘘でも社会貢献を謳っているのであれば、儲かる事業に精を出す一方で、貧困・飢餓にも乗り出した方がいいのではないかと思う。
「そういうお前は」と思う人もいるだろうから、私の偽善的SGDs活動については後日の投稿でここに書き記してみようと思う。