マキエマキの『マキエイズム』を読んだ。
noteやXの投稿を読んで、とても文才のある人だと思っていた。
文章は読みやすく、また彼女のが経験したきた数多の不快な出来事なども端的に、テンポよく記述されている。
エロティックな自撮りをする理由についても納得できるものだった。
そして、私がもっとも関心を持ったのが、サブタイトル
私が性の客体を演じる理由
だ。
「客体」ということばが気になった。
これまでなんとなく「物体」「対象物」のような意味合いに思っていて、
客体ということばの本質を考えたことがなかった。
今回辞書を引いて、初めて分かったことが
「主体」の対義語であること。
つまりマキエマキ自らがエロティックな被写体を演じる「客体」であるとき、
その「主体」は誰なのか。
本書を読めば、主体は彼女自身であることが分かる(というのは私の勝手な解釈だが)。
何というか、ここで自分を「客体」と表現する、ことばの選択が素晴らしいと思った。
辞書を引かなければ、さらっと読んで終わってしまうが
主体と客体の関係性に気づくと、とても含みがあるサブタイトルだ。
自分のための表現、自分のための作品。
アーティストにて対してマーケティングを例えに出すのは失礼極まりないとは思うが、
これも原点は「n=1」なのではないか。
万人に好かれようとするのではなく、自分の感性を最優先する者に、人々は共感するのだろう。
ここから追記(2024.4.26)
もう一つ、今日車を運転していて頭の中で整理できたこと。
客体には、主体と対をなすことのほかに、
「主観」と「客観」の意味の主客の関係も存在する。
②主体の意思・認識・行為などとは関係なく外界に存在するもの。(明鏡国語辞典)
これは作者の表現とは無関係に起きる、作品への反応や評価。
世間一般の捉え方、ではなかろうか。
つまり「客体」という一つのことばで
・自身の思いを具現化させるための作品
・他者が作品を通じて感じ取る「マキエマキ像」
の二つの意味を読み取れる。
というのは私の勝手な解釈だ。
そんな読み方をしたくなるほど、興味深い一冊だった。