昨年、KADOKAWAが圧力に負けて発行をとりやめた書籍
『トランスジェンダーになりたい少女たち』(産經新聞出版)が届いた。
産經新聞出版は「脅迫に応じることは、出版文化と表現の自由を脅かす前例を作ることになり得る」と、
著作権代理店に出版を申し入れたという。(読売新聞より)
本に限らず、活字文化や創作表現に関わる人たちは、表現の自由を守るのが当たり前だと思っていたが、
KADOKAWAは違った。
彼らは一部のクレーマーに屈して発行を断念した。
喜多野土竜氏のnoteに「テロリストとクレーマーに、成功体験を与えてはならない」という言葉があった。
全くその通りだと思う。
彼らは一度でも成功すると、それが正しかったと思ってさらに行動が過激になる。
圧力に屈した時点で未来永劫負け続けることになるのだ。
読売の報道によると、『トランスジェンダーになりたい少女たち』を販売しない書店もある。
紀伊國屋は昨日(4月3日)時点で、ネットショップで取り扱いをしておらず、
実店舗の在庫検索では広島県に1冊もない。
ジュンク堂は4月1日から紙の本はトーハンのECサイトに切り替えているので、自社でのネット販売はない。
広島県の在庫を調べると、ジュンク堂にはなく、丸善に1冊だった。
店頭を見たわけではないので断言できないが、これだけの話題作で
Amazonの書籍売り上げ総合トップになるほどの本を売らないというのは
よほどの理由があるのだろう。
報道では店に危害を加える旨のメールが届いた書店もあるようだ。
書店はクレーマーの検閲に押し切られ、実害を恐れて忖度して販売を見合わせた。
これについてマスメディアが声を上げないのも異常だと思う。
剣より強いはずのペンが、折れかかっている現状に危機感を持たないのだろうか。
表現の自由について、昨日の新聞に載っていた江川紹子氏のコメントを引用する。
仙台高裁判事の弾劾についてのものだが、「判決」を「対応」に置き換えると、今回の騒動にも当てはまる。
「受け手の被害感情で全てが決まるという驚きの判決だ。被害者に寄り添うという言葉が肥大化し、発信者の意図や動機が無視された。他者を傷つけないよう配慮するという道徳と、憲法で保証されている表現の自由はてんびんにかけられるべきものではない。(後略)」
日頃の江川氏の主張は賛同しかねるものが多いが、表現の自由を守ろうとする姿勢には共感した。
肝心の本の内容については、まだ読み始めたばかりなので、後日所感をまとめてみたい。