月に一度、「小説塾」に参加している。塾生の一人が書き上げた小説を、他の塾生が批評し、先生が講評した後で推敲のヒントを示してくれる。

塾生が持ち込む作品の幅は広い。エンターテインメント小説もあれば純文学も、歴史小説もある。それぞれが数か月前、あるいは一年以上前から執筆し、推敲の限りを尽くした作品を持ち込んでくる。

今日の作品は、塾生の子ども時代の体験をベースに書かれたもので、悔恨や悲しみ、苦悩に満ちた物語だった。大部分が実際に経験したことで、その中に小さな創作がいくつも入っていると筆者は説明した。「自己の原罪と向き合う作品」と先生は言う。

私小説は、書き手にとって身近な小説ジャンルだと思う。作品のための取材や調査をすることもあるが、自己の経験をベースに作品世界を構築した方が心情の変化を描きやすい。実話がベースになっているので現実味も増す。少なくとも書き手は、そのリアリティーに自信を持って執筆できる。

ただ、作品を一つの「創作物」として見るとき、実体験をどこまで追うべきなのか。私小説という定義づけをしないまでも、自己の心理を投影する作品として、どこまで現実をトレースすればいいのか。どこまで許されるものなのかを他の塾生に問うてみた。

ある人は「現実から離れようにも離れられなかった」と振り返り、一方で「これ以上書いたら迷惑がかかる人が出てくるのではないかと思った」と語った。

 

「原罪」は誰にでもあり、小説を書く上では大きなエネルギーになると思っている。それを言語化し、さらには作品として世に出すにはどうすればいいのだろうか。

先生は「都合が悪い人には消えてもらうこと」「テーマをしっかり認識し、自由に素材を組み合わせる」ことを勧めてくれた。実体験、原罪の中で自分が伝えたいテーマは何なのか。それを明確にすれば、表現手段や素材は使いやすいものを使えばいい。言い換えれば、実体験をそのまま書いただけでは人の心に響かないということではないだろうか。自分自身がその体験の根底にあるテーマに気づかなければ、ただ「こんな悲しいことがあった」「こんな経験をした」という半生記になってしまう。

作品を書き始めるとき、今までは「題材」について悩んできた。それは間違いではないと思うけれど、そこから一歩踏み込んで「自分が書きたいテーマ」「伝えたいテーマ」を意識するところから出発してみようと思った。

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By ほりゆき

ぶるぼん企画室代表の堀行丈治(ほりゆきたけはる)です。取材、執筆、撮影、編集を生業としています。

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