京都アニメーション放火殺人事件の裁判が始まったということで
今日の新聞社説はこの事件についてのものだった。
社説前半の主旨としては「犯行動機を明らかにせよ」と。
これについては異論はないのだが、後半に同意しかねる部分があった。
(以下引用)
青葉被告が社会で孤立し、凶行に至った経緯の解明が待たれる。派遣切りに遭うなど仕事も住まいも不安定で、人間関係でつまずくことも多かったようだ。強盗事件を起こして実刑判決を受け、出所後に生活保護や訪問看護も受けていたとみられる。検察側はそうした中で、被告が犯行を決意したとみる。
近年、放火や電車内での切りつけなど無差別殺人事件が後を絶たない。加害者が孤立を深めた挙げ句、ため込んだ不満を晴らすかのように無関係な他人を巻き込む構図は共通する。どこかで思いとどまらせることはできなかったのか、社会の在りようを考える手がかりが要る。再発防止をもらたす審理を求めたい。
(以上)
「社会の在りよう」だと。
派遣切りにあったり、人間関係でつまづいたりして孤立した人が罪を犯すのは、
まるで社会が悪いとでも言わんばかり。
確かに彼の半生には同情すべき出来事も多いとは思う。
不倫の末に駆け落ちした父と母は、その後に離婚。
父と妹が相次いで自殺し、天涯孤独になる。
しかし、その後の行動には同情の余地などない。
わずか5年の間に2人の肉親を失い、天涯孤独に陥った青葉は、ついに自暴自棄とも言うべき行動に出る。妹の自殺から2年後の2006年9月、春日部市内で女性の下着を盗み逮捕されたのだ。このときは執行猶予付きの判決が下されたが、6年後の2012年6月には、茨城県坂東市内のコンビニエンスストアに包丁を持って押し入り、現金2万円を強奪。強盗及び銃刀法違反の疑いで逮捕され、懲役3年6月の実刑判決を受ける。
(以上)
同じようなつらい境遇の人は、世の中にたくさんいると思う。
だけどほとんどの人は逆境に耐えて、自分の人生を少しでも良いものにしようと懸命に生きている。
下着泥棒に強盗と、犯罪に走る時点で、社会ではなくこの青葉という男の資質の問題だとわかる。
(引用続く)
服役中は刑務官に繰り返し暴言を吐いたり、騒いだりして、精神疾患と診断されている。2016年1月に出所したあと、生活保護を受給しながら、さいたま市のアパートで暮らしていたが、音楽を大音量で流すなどの奇行が目立ち、住民とトラブルになっていた。事件直前の夜に青葉が発した「黙れ! うるせえ、殺すぞ。こっち、失うもんねえから!」という言葉が思い出される。
(以上)
あえて「社会が悪い」というなら、このような人物を社会にリリースする制度に問題がある。
もしも彼が隣に住んでいたら、私は安心して暮らせない。
そして、あの凶行に及ぶのだ。
彼を知る人は(引用)
「長い間にいろんなことがあったんだね。事件を起こす前までは同情の余地があるけど、あの事件を起こしたら、全く同情の余地はないよね。そういう環境でも、あんな事件を起こさない人はいっぱいいる。そうでしょ。そういうふうに生きてきたんだよ、みんな。どんな苦しいことがあったって。変な言い方だけど、自分で死んでしまったほうが。逆恨みみたいなことはしちゃいけないよね」
(以上)
もうね、この言葉が全てだと思う。
この事件は明らかに個人の資質が引き起こしたもの。
動機の究明は必要だが、原因を社会に押し付けるのはお門違いだと思う。
ただ、先に述べたように、こういった危険人物を社会に出していることを問うのであれば同意する。
自分が不幸だからといって、他人を羨んだり妬んだりしても何も変わらない。
生きるのが嫌になったとしても、他の誰かを巻き添えにしないでほしい。
「社会が悪い」とか、口が裂けても言うな。
その社会でみんな生きている。
ついでに言うと「社会が悪い」というスタンスの人は、
自身もその悪い社会を構成しているという自覚はないのだろうと思う。