こんなことを書くと、先生に良く思われないのではないだろうか、人に嫌われるのではないだろうか。
文章を学んでいると、ときどきそんな思いが胸を過ることがある。
自由なはずの創作に、自分からブレーキをかけている。
今日は小説塾終了後の自由な議論の中で、政治と表現の自由について自分の思いを述べた。
今は自由度が高いので、政治的な主張が込められた作品でも許容される。
一方で、ポリコレ(ポリティカルコレクトネス=政治的妥当性)という圧力が大きくなっている。
何もかも、社会的弱者や少数者への配慮が求められる。
そのせいで、書けないこと、できない表現が生まれていると思う。
私は以前「母子家庭」という記述を「ひとり親家庭」に修正するように指導を受けた。
マスメディアの記事であれば、(クレーム対策的な意味で)そうすべきかもしれない。
しかし小説という自由な表現の場にまで、その基準を持ち込むべきなのかについては、私は否定する。
「誰かが不快に感じる表現は慎め」と言われても、必要だと思えば使えばいい。
積極的に使おうとは思わないが、差別用語とされている言葉であっても
創作活動の中では禁止すべきでないと個人的には思う。
好かれたい、気に入られたい、嫌われたくない、良く思われたい……
それは正直な気持ちだが、そのために自分の表現や主張を変えるのはやめよう。
自分の一番のファンである自分をがっかりさせないように。