子供の頃は、農作業の手伝いがいやだった。
中学に入ると部活があり、百姓仕事で練習を休むなんてありえない雰囲気だった。
今思えば、「今日は稲刈りです」と素直に言えば休んでもよかったのだろうが、
鬼顧問にビビりまくっていた当時は、そんなことを考える余裕すらなかった。
「日曜日も練習があるから休めない」
両親や祖父母に反抗する気持ちはなかったが、田んぼで稲藁にまみれたくもなかった。
いつしか実家は稲作をやめ、田んぼのあった場所は池として貸すようになった。
今はわずかな面積の畑が残っているだけだ。
30代の後半になって、少しずつ実家の畑仕事を手伝うようになった。
主には春から秋の草刈りで、作物を育てるようなことはしなかった。
暑い最中の草刈りは、体への負担が大きい。
高齢の両親にとっては重労働だと感じた。
草刈りのために帰省する日は、少しずつ増えていった。
父は80歳を前に、体力が急激に落ちた。
5分も草刈りをすると、もう立っていられない。
その頃から、草刈り以外の作業もするようになった。
「がんぎを切る」という、畝立ての作業は難しい。
父が何度か手本を見せてくれたが、真っ直ぐにならない。
湾曲した不揃いな畝でも、母は「大丈夫だ」と言ってくれる。
玉ねぎ、白菜、じゃがいも。
季節ごとにいろいろな野菜を作っているが、詳しいことは私には分からない。
もう少し頻繁に帰るようにすれば、分かるのかもしれない。
子供の頃はしたくなかった百姓仕事が、いまは楽しく思える。
野菜を育てる楽しさもあるのだろうが、父や母と一緒に何かをするということに喜びを感じている。
体を病んでしまった父は、もう畑に立つことはないかもしれない。
だが、畑の様子を聞いているときは楽しそうだ。
仕事の傍らで田んぼや畑の世話もしていた父とは比べものにならないくらい、私の農業への関わりは薄い。
だがこうして、少しでも手伝うことで、実家の畑を維持していく術を身につけられるかもしれない。
農業の再生などという大仰なことは考えてもいないが、細々と野菜作りができるような暮らしもいいと思う。