中国新聞の一面コラム「天風録」が面白くない。
もう数年来、いい文章に出会っていない。
最近は天風録をほとんど読まなくなった。
新聞社的には天風録が武器の一つのようで「書き写しノート」なるものまで販売している。
たまたま一昨日の天風録を流し読みして、引っ掛かった言葉がある。
「てご」
中国地方のあちこちで言う「心ある人々の加勢」のことだと言う。
「それは『てごう』だろう」と思った。
手伝うことを「てごうする」と言うのは、私たちの日常でよくある。
しかし「てご」は初めて見た。
誰が使っているのか?
そもそも「てご」だと「て」にアクセントがくるのが自然。
「てごう」は「ごう」にアクセントだ。
どうもしっくりこないので、中国新聞の過去記事を検索した。
便利な時代である。
結果は、手伝い・手助けの意味で使っているのはすべて「てごう」。
「てご」なんて新聞社自身が使っていない言葉だ。
なぜこんなことをするのか。
一つの仮説を立てた。
天風録は、段落替えの記号の高さを揃えているのが自慢なのだ。
コラム子自らが、天風録上でひけらかしていたことがある。
それを読んで「やめておけばいいのに」と思った。
本当に伝えたいことがあっても、体裁の縛りで文言を変えなければならないことがあるからだ。
コラムで段落替えの高さを揃えるのは、読売新聞の編集手帳が長くこのスタイルを採用している。
だが読売は無理をしない。高さが揃っていない日もあるし、自分から「高さを揃えてるんです」なんて言わない。
気づく人が気づけばいいし、揃えない日があってもいい。
あくまで内容が最優先なのだ。
閑話休題。
本来「てごう」であるべき言葉を「てご」にしたのは、段落替えの高さを揃えるためなのではないかと推察。
この日の天風録は2字分のマスを空けて終えている。
「てご」の出現は2回。
「てごう」と表記できるのに、わざわざ「てご」という自社の記事でも使わない表記にしたのは、
記号の位置という、見た目にこだわってしまったからだろう。
哀れだ。
中身で勝負せんと読者に見放されるで。
ぶるぼん企画室
代表 堀行丈治
東広島市八本松南5-6-12コウセイビル202
TEL.082-401-1072 FAX.082-553-0556