松江文学学校の後、月山富田城跡を訪ねた。
先日読了した小説「駆ける」でも描かれている、尼子と毛利が戦った山城だ。
尼子の武将、山中鹿介幸盛ゆかりの城でもある。
もちろん私は小説を読んで興味を示しただけの「にわか」ファンだ。
毛利のことも尼子のことも、ろくに知らない。
ただ、作品中に出てくる月山富田城というものを、この目で見たかったのだ。
松江市中心部からは車でおよそ45分。遠目にも一目で城と分かる形の山があった。
駐車場に車を停めて数分歩くと長い階段があったので、山頂付近まで一気に登った。
曇り空で助かった。
想像していたよりも広かった。
二の丸の建物内には、地元の人が撮った四季折々の写真が展示されていた。
城を下りて歩くこと10分。
山中鹿介幸盛の銅像が建っていた。
言い伝えによると鹿介は、
「願はくは、我に七難八苦を与へ給へ」と三日月に祈ったという。
この言葉は聞き覚えがあった。
私が7年間所属していた倫理法人会で読む栞(バイブルのようなもの)の
「苦難は幸福の門」の章の中に書かれている。
(以下引用)
古の勇士は、「我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったと言われる。(「万人幸福の栞」より)
私はこの「苦難は幸福の門」という言葉が好きで、「七難八苦……」の名言も覚えていたが、
その言葉の主が鹿介だということは「駆ける」を読むまで知らなかった。
古の勇者は、山中鹿介幸盛だったのだ。
好きな言葉のルーツに触れることができてよかった。
ひとしきり感慨に耽った後、さらに山間部へと足を延ばし、
布部の激戦地も訪ねた。
一冊の本との出会いが、それまで縁がなかった世界への扉を開いてくれた。
歴史の面白さが、少し分かってきた。
ほんの少しだけど。
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