8月6日がきた。
毎年のことだが、この1週間は「平和」「核廃絶」という言葉がさまざまなメディアで飛び交う。
広島県民のほとんどは、小学生の頃から「平和学習」の名のもとに、原爆がいかに残酷な兵器だったかを学んでいる。
そして「二度と繰り返してはならない」ということも理解している。
だが私が子供の頃には、日本の平和と安全が、米国の「核の傘」に守られているという現実を教わることはなかった。
広島県知事は平和記念式典の挨拶の中で(以下、一部引用)
しかしながら,力には力で対抗するしかない,という現実主義者は,なぜか核兵器について,肝心なところは,指導者は合理的な判断のもと「使わないだろう」というフィクションたる抑止論に依拠しています。
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/198778
と述べた。その通りだ。この抑止論は幻想にすぎない。
「使わないだろう」ではなく、現実は
「(持っている相手には)使えない」だ。
核保有国に対して核攻撃をした場合、核で反撃されれば自国にも甚大な被害が出る。
核抑止力とは「使わないだろう」などという性善説に基づいた希望的観測ではなく、力の均衡がもたらす抑止力だ。
ソ連崩壊時に世界3位の核保有国だったウクライナは、米英露との「領土不可侵」の議定書だけで核を放棄した。
ロシアがウクライナを侵略した。核攻撃も辞さない構えだ。
県知事は挨拶の中で「実際,ウクライナはいわばこの核抑止論の犠牲者です。」とも述べた。
「使わないだろう」の幻想は何の役に立たないのだ。
ウクライナ国民が核放棄をする前に「(持っている相手には)使えない」ことを知っていれば、
ロシアに侵略されることはなかっただろう。
「核廃絶は人類共通の願い」という言葉を目にすることも多いが、
核開発をしたい、核を持ちたがっている国家や民族もいる。
彼らは、フィクションたる抑止論が無意味だと理解しているのだろう。
核廃絶が実現したとしても、覇権主義、拡大主義国家やテロ集団が核兵器を製造しない保証はない。
表向きは廃棄したことにして、秘密裏に開発される方が危険だと思う。
原爆に限らず、大量殺戮兵器や民間人を犠牲にする兵器はあってはならない。
だが現実には紛争や戦争は起きていて、たくさんの犠牲者がいる。
核保有国に攻撃されず、対等に交渉するために何が必要か。
核廃絶という理想論だけでは、私たちの平和は守れない。
広島のライター&カメラマン
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