昨秋、朝顔の種をもらった。
茶封筒の中にいれたまま冬を越し、春が過ぎ、
気がつけば5月も半ばを過ぎていた。
1年以上放置していたプランターの土をほぐし、3箇所に種を蒔いた。
土が悪いせいか、発芽も成長も遅かった。
朝顔を育てたのは、小学校1年生の時だけだ。
入学してすぐの頃だったから、理科の最初の題材だったのだと思う。
あの頃は、友達の鉢と比べて自分の朝顔の成長が遅いと心配で仕方なかった。
鳳仙花も向日葵も菊も、小学生の頃に育てた植物は、いつも誰かのものと比べて一喜一憂していた。
標準とか平均といった言葉を知っていた訳ではないのだが、
無意識のうちに横並びでいたい、遅れたくないという思いが染み付いていた。
今は競う相手が見えない。
誰かと比較をすることがない。
朝顔の種蒔きが遅くても、発芽が遅くても、何かと比べる必要はない。
しかし自分が生きていくため、事業を成長させるために取り組まなければならないことがある。
その目標に向かって試行錯誤を繰り返している。
朝顔はいつの間にかバルコニーの手すりにかけたネットを伝い蔓を伸ばし、
今日、最初の花をつけた。
種を蒔いた時期が遅くても、成長が遅くても、枯らさずに育てていれば花が咲く。
なんだか自分の心のようにも思える。
誰かと比べて劣っている、遅れていると嘆いてばかりだと、いつか枯れてしまいそうだ。
なにごとも、始めるのに遅すぎるものはない。
自ら心を枯らすような考え方や言葉はもう使うまい。
私の心を枯らそうとする人から、自分を守ろう。
枯れなければ、いつか花は咲くのだから。