良い習慣というのはなかなか身につかないのだけれども
一度身につければそうそう忘れないと思っていた。
しかしそれは間違いだった。
心は正直だ。
倫理法人会を退会後も大切にしたいと思っていた「万人幸福の栞」。
もう半年以上、放置していた。
読むことさえもしなければ、実践などしようはずもない。
いつの間にか心の持ちようが変わってしまった。
そのことに今日気づいた。
久しぶりに手に取った栞は、なんだか薄くなったような気がする。
徐に開くと「万物生々」のページだった。
「物は生きている」と言ったら、半分は「そうだ」と言い、半分は「そうではない」と言うであろう。しかし物はすべて生きている。着物も、道具も、機械も、金銭も皆生きている。
大切につかえば、その持主のために喜んで働き、粗末にあつかえば、すねて持主に反抗するだけでなく、時には腹立てて食ってかかる。けがをするというようなことはこうした場合が多い。(以下略)
「物は生きている」のだとしたら、物に声をかけている人がどれだけいるだろうか。
物だけではない。人にもちゃんと声をかけているだろうか。
私はこのところ、人に声をかけると言うことさえも碌にしてこなかった。
今その咎めを受けているのだと思う。
もちろん物にも声をかけていない。
物に声をかけるということは、全てに声をかけることでもあるのだと思う。
人に声をかけていないのに、物に声をかけられるはずもない。
物は全ての象徴なのだと思う。
物にも、私を必要だと思ってもらえるように、人にも私を必要だと思ってもらえるように
身の回りの物に声をかけてみよう。
まずは仕事道具に「お疲れ様」から。