今日久しぶりに公衆電話を見た。
いや、おそらく普段から目にしているのだろうけれど
意識したのは久しぶりだった。
酒屋の前に郵便ポストと並んで、緑の公衆電話。
わざわざ緑と言わなくても、もう赤やピンクの電話はないかもしれない。
大学1年生の頃は下宿というか間借りというか、民家の2階に学生向けの部屋が4つあって
住所に「●●様方」が付く家だった。
6畳間に小さい流し台とガスコンロがあって、風呂は駅前の銭湯に通っていた。
電話は「呼び出し電話」。
1階に住む大家さんの家に電話がかかってきたら呼び出される。
そして、大家さんの玄関で通話をしていた。
かける方も受ける方も気兼ねをするので、滅多に呼び出されることはなかったが、
私に連絡を取るための唯一の手段がそれだった。
こちらから電話する用事があるときは、下宿の目の前にある電話ボックスを使った。
テレホンカードが普及し始めた頃で、緑の電話機があちこちに増えていた。
今思えば信じられないくらい不便だが、特に困ることがなかったのも不思議だ。
それでも友達が増えてくると、もっと気軽に電話連絡をとりたいと思うようになる。
当時は電話回線を引くのにけっこうなお金が必要だったので、アルバイトをして貯めた。
8万円ぐらいだったか。
今で言えばスマホの機種代金のような値段だが、もっと貴重なものだったように思う。
電話回線を持っていることは、学生にとってある種のステータスだった。
就職で引っ越す時には、解約ではなく一時休止。
住所が決まったら利用再開するという、生活インフラみたいな扱いだった。
そんな固定電話も公衆電話も、30年後には携帯電話に遠く及ばない存在になってしまった。
テレビが一人一台になっても、電話機が一人一台の時代が来るなんて、当時は思わなかった。
みんなで使う公衆電話はもはや過去の遺物……と思っていたら
取材で出会った某金融機関の外務の人たちは、連絡手段が公衆電話だという。
携帯電話の使用は禁止されているのだと。
彼らにとってはいまだに公衆電話が貴重な通信手段。
担当エリアの電話ボックスの場所は記憶しているという。
テレホンカードも現役バリバリだろう。
私はもう長いことテレカを買ったことがない。
最後に買ったのがいつだったのか記憶にない。
いまも一枚だけ持っているテレカは、学生時代のアルバイト先でもらったグリコのノベルティー。
南野陽子のテレカだ。
今ではさぞや高値がついているのでは、と検索してみると
600円だった。
記念にとっておこう。
何の記念?
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