今日のネット記事で、とても興味深いものがあった。
未来のカメラマンの姿を予言していると感じる。
(もはや“カメラマン”と呼べる仕事ではないともいえる)
奇抜なヌードも「AIでしょ」で終わり──’90年代に「Yellows」でデジタルの可能性を示した写真家が生成AIを駆使する現実的な理由
写真家・五味彬さんが、生成AIの画像で作品展を行っているという。
草創期のデジタルカメラをいち早く手にし、作り上げた作品が「Yellows」のシリーズだった。
その五味さんにとっての“新しい写真”が生成AIだ。
写真(真を写す)と正反対の世界だが、表現手段の一つとして使うことは間違っていないと思う。
記事の核心(と思われる)部分だけ引用する。
ギイ・ブルタンでも、入れ墨の妊婦100人の写真は撮れない。それで、ぼくは、そういうシリーズで作品を作ってみました。そういうことができるのは、やっぱりAIの面白さです。ただ、これが単に非現実的な写真を作るというのでは面白くない。現実的だけど、写真作品にするとなると、ほとんど不可能みたいな線が面白いんです
記者はこれを「虚構のリアリティを、まるでそこにあるかのように描くスーパー・リアリズム」と書いた。
実に的を射た表現だ。
生成AIを上手く使っていくことが、フォトグラファーとして生き残る道に思えてきた。