音田昌子さんのエッセイ「心に残ることば」(日本フルハップ会報誌『まいんど』巻末掲載)を読んだ。
題名は「テーブルは第二のいのちを生きている」。
音田さんの家にある大きな一枚板のテーブルの話だ。
エッセイは中盤で、自身の木への関心に話題が移る。
自宅の庭で木を育てるようになってから、関心を持ち始めた恩田さんの興味を決定づけたのが
幸田文さんの著書『木』だったという。
幸田文という作家のことを、幸田露伴の娘だということも含めて知らなかった。
そもそも幸田露伴も歴史の授業で名前を聞いたことがあるだけで、著書にふれたことはない。
そこで、音田さんが紹介する『木』のサンプルをKindleで読んでみた。
本当にKindleリーダーは重宝している。
今年買って良かった商品ナンバーワンだ。
サンプルで、『木』の最初に掲載されている『えぞ松の更新』だけ読むことができた。
気候や自然への観察眼、心理描写の形容が面白い。
とても含みを持たせた締め方で、次の作品を読み進めたいと思える随筆だった。
読みかけの本が何冊かあるので、少し整理できたら続きを読もう。
閑話休題。
音田さんは、幸田さんが大工の棟梁から聞いた話を紹介している。
「立木には立木の生きかた、材は材の生きかた、かりに立木を第一のいのちとするなら、
材は第二のいのちを生きているのであり、材を簡単に死物扱いにするのは、承知が浅い」
一枚板のテーブルは、第二のいのちを生きているのだという。
極めて日本人らしい考え方で、共感する。
木材に限らず、身の回りにあるものは鉄であれプラスチックであれ、第二、第三のいのちを生きている。
万物にいのちがあると思わされることがよくある。
粗末に扱えば、いい仕事をしてくれない。
丁寧に扱い、愛情をかけて手入れした道具はいつまでも能力を発揮してくれる。
机の端で泣いている文具や、部屋の隅で不貞腐れている仕事道具のことが気になってきた。
明日は雨の予報だ。
撮影から帰ってきたら、道具を労る時間を作ろう。