今日は、月に一度の文章講座の日。
批評作品4つのうち、1作がとても心の残る随筆だった。
作品中の情景描写で、先生が「実際にはこの通りではなかったと思うが」と解説する場面があった。
私自身は、いくつかの条件が揃えばそういうことがあってもおかしくないと思っていたが、
人によっては「出来過ぎた状況」と思うのかもしれない。
そして、その状況について先生は
「筆者は見ている、『見た』と信じている。それを書くのが文芸です」
と教えてくれた。
数年前、辻原登さんの講演を聞いたとき、
事実と真実の違いについて語っておられた。
事実とは現実に起こった事象のこと
真実とは、書き手の記憶に刻まれていること
といった内容だったと思う。
たしか柳田國男『山の人生』の美濃の炭焼きの話を引用されていた。
夕陽が差し込む中での惨劇。
現実には夕陽が差し込んでいなかったが、筆者は夕陽の中の光景を見ているのだと。
心に残る場面には、書き手の信念に基づいた真実があるのだと、改めて思った。
私の中に真実が、いくつあるだろうか。
そしてそれを、うまく言葉として著すことができるだろうか。