先月、文章講座の受講生の作品で献体を題材にした創作を読んだ。
献体という制度があることは知っていたが、自分や家族に置き換えて考えることはなかったし、
その作品を読むまでは存在すら忘れていた。
そして、一つのドキュメンタリー映画を思い出し、視聴してみようと思った。
『妻として 母として』(2017年・台湾)
献体として自分の体を提供した妻と、妻の死後から献体提供までの約2年を寄り添った夫の話だ。
骨も臓器も全て、医学生たちの勉強のために分解され、原形をとどめないほどに切り刻まれる。
自分たちの元に帰ってくるときは灰になっている。
遺族にとっては辛いことだと思う。
だが、献体提供者やその家族に対する医学生たちの敬意や、互いが信頼関係を育む様子を見ていると
医学生と遺族が、献体を通して一つの家族のような関係になっているように思えた。
献体のことを「無言の先生」と呼ぶそうだ。
医学生が医師になるための過程に解剖学がある。
その実践の場には献体が必要だ。
医学の進歩のために、死後の自分を生かす場所があるのなら、
人生の閉じ方の一つとして、検討する価値はじゅうぶんあると思った。
広島のライター&カメラマン
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